福祉 1.足りないのは予算でも施設でもない。「福祉の心」なのです。
普通の政治家なら、まず「バラ色のまちづくり」を華々しく打ち上げることから始めるでしょう。でも、私はあえて「福祉」の話から始めてみたいと思います。そこに現代の地方政治の問題点が象徴的に現れているからです。今、福祉政策で最も足りないのは施設でも予算でもありません。逆に福祉の予算は膨らむ一方で、施設はどんどん増えています。でも、何かが失われているような気がします。それを一言で言えば、「福祉の心」だと思うのです。人々の心があたたかいものに満たされて、お年寄りや社会的に弱い人々も生き生きと暮らせるようになってこそ、福祉といえるではないでしょうか。私の体験をお話ししましょう。昭和50年、私の子供が守山市の公立保育園に入りました。私は保育所の育英会の会長、また守山市議会議員の立場から、県の日中友好使節団の一員として中国浙江省杭州を訪問しました。中国はみんなが働く国です。当然、保育所が重要な役割を果たしており、多くの子供が保育所に預けられています。そこで驚いたのは、私たちを踊りで迎えてくれた子供たちの屈託のなさです。本当にのびのびしている。目が生き生きと輝いている。保育所では、最前線から退いた高齢者たちが子供たちに教えており、温かな交流がありました。高齢者たちも張り合いのある表情だったのが印象的です。一方、わが国の保育所はどうでしょうか。本来、「生活が苦しいから」子供を預かるのが保育所だったのですが、当時の日本は1億中流意識の時代。貧しさからではなく共稼ぎの「忙しさ」から子供を預け始めていたのです。生活苦というより、膨らみすぎた生活を支えるために必要になっていました。ですから、保育所の父母会の役員などが回ってきたら「何で私がせなあかんのや」と不満の声が上がりました。「ちゃんとお金はろてんのに」・・・・・。預けられている子供たちにも寂しさのようなものが漂っていました。一方で『立派な』施設の中で『隔離』されて暮らす高齢者にも寂しそうな表情が・・・・・。「これじゃあだめだ」−中国の保育所を見てそう思った私は帰国後、すぐに社会福祉法人友愛を設立、カナリヤ保育園を作ったのです。
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